10年分のありがとう

今日でたあくんと付き合って10年経ちました
10年間本当にいろいろありました


付き合い始めた時、私は昼間建設会社でフルタイムの仕事をして
保育園へ二人を迎えにいってご飯を作ってご飯を食べて
二人を寝かして、夜中にモスバーガーのバイトをしていました


あのころは二人の子供を育てる事に必死で
ただ「母子家庭だからって不自由ない暮らしをさせてあげたい」それだけでした
子供の寂しさとか、子供の気持ちを考える余裕がなく
寝不足でいらいらし、子供たちに冷たく当たった時もありました
それでもただただ必死に働き続けて
「ほかの子と少しでも同じように生活させる、それが幸せなんだ」
と自分に言い聞かせて・・・


そんな時「夜のバイトを辞めて、少しでも多く子供のそばにいてあげたほうがいい」
たあくんがそう言って、一緒に暮らしはじめて生活を助けてくれました
「一人でがんばらなくたっていいんだよ」その一言に私は救われたのです
ぷっつりと張り詰めていた気持ちがとけた瞬間でした


育児に悩んだ時、泣いてる私の話を聞いてくれ
     いつも励ましてくれたっけね
小学校に入学した時おはじきセットのパーツに夜中までかかって
     ひとつひとつ名前を書くのを手伝ってくれた
俊にもサッカーを教えてくれて
     ふたりでアパートの前の桜の公園でリフティングの練習したりしてたっけね


私が仕事で運動会に行けなかった時
     私の変わりにお弁当を持って参加してくれ
子供が万引きした時も、ただただうろたえる私に
     「お店に子供を連れて誤りに行く」という勇気を与えてくれました
子供の卒業式に一緒に出席して
     子供の成長を感じ一緒に涙を流してくれたよね
私の体調が悪い時は
     一生懸命解らないながらも子供たちにご飯を作ってくれて・・・


この10年
いっぱいいっぱい語りつくせないほどいろいろありました
楽しい事ばかりじゃなかったし辛い事も苦しい事もたくさんあったよね


たあくんと出会う前に病気で卵管を切除し自然には妊娠出来ない
そのことも受け止めてくれ一緒に出来る事を考えようって
一緒に本を探したり調べたりしたっけね
二人の子供を心から望んでいたから


体外受精をすれば産めるかも」と望みを託し、
二人で産婦人科に相談に行った時もありました
でも結局持病で飲んでる薬を1年間辞めないと、体外受精は無理と先生に言われ
夢を絶たれ二人でいっぱい泣いたっけ
「お前の体の方が大事だから薬は辞めなくていいからね、飲まなきゃダメだよ」って


子供好きなたあくんの子供を産んで上げれないことがどんなに辛かったか


きっと…私と出会わなければ
今頃は普通の家庭をもって自分の血を分けた子供もいたことでしょう
私はそのことを考えると今でも胸が痛い思いになります
「別れよう」って何度も考えたこともありました
それでもたあくんは
「俺には俊も栞もいる 二人の成長をずっと見届けたい」
そう言ってくれた言葉に私は今も甘えているのかもしれないね


自分の子供じゃないのに俊や栞も本当の父親以上に考え思ってくれる
そのことも少しずつではあるけど二人にも思いは伝わっていると思います
最近俊がたあくんに「兄ちゃん(たあくんのこと)
             は僕を愛してる?僕は兄ちゃんの事愛してるよ」
と照れながら言ってました


私はたあくんに支えられ、励まされ今もこうして暮らしてこれました
10年分のありがとうを書くと
きっとこの日記は
「ありがとう」の文字で一杯になってしまう事でしょう


私はたあくんに出会えて本当に幸せです
本当にありがとう・・・ありがとう・・・


そして出会った時と変わらず
今もあなたを心から愛しています